漫ろ歩き

小説のようなものを書きます

 

 

 事故死だった。

 生前のうち「死んだ後は何も無いが有るのだ」なんて友人とふざけて言い合った私は、まさに今その解と対峙している。私は私の死体が救急車に乗せられたのを見届け、その場を去る。移動距離に制限がある訳でも無いらしい。手を握る。感触はしなかったが正しく思い描いた通りに動作をしているのが見えた。野次馬の喧騒も聞こえている。

 

「あ、声も出るのか」

 

 これでは生きているのと何ら変わりない。ただ、感覚だけが何もしなくなってしまった。物や人に触れる事も出来ない。触れようとしても触れた箇所から水のように溶け、私の体は見えなくなってしまう。世界がそっくり全てホログラムか何かになったかのような光景だ。私は今、確かにこの場に居るけれど、確実に居ない存在だった。

 元々、天国やら地獄やら高天原やらは私の頭では馴染みが無く想像のつかない世界で、漠然と「違う」と思っていた。このような信仰心の欠片も無い男が、神などの上位存在から迎えられるような事も無いだろうと結論付け、生前に向かう途中だった待ち合わせ場所へ急ぐ。私の答えのあと「死んでいても生きていても同じ事だよ」と述べた友人は既に待ち合わせの時間を過ぎていたのもあって、その場所で腕を組んで立っていた。今日は最近オープンしたと評判のカフェに男2人で赴く予定だ。

 

「お待たせ」

 

 私が片手を挙げると彼は大きな溜め息を吐いた。スマホを取り出し、緑のアイコンをタップする。両手でスマホを持ち直すと私の名前が表示された画面にメッセージを入力していった。

 

「遅いぞ」

「ごめんごめん。途中で事故に遭ってさ。車に轢かれたんだよ? 青いワゴン車」

「もう行くからな」

「だから、ごめんってば。奢るから許してくれよ」

「絶対1番高いの奢らす。覚えとけ」

「分かった」

 

 苦笑する私に、彼はもう一度だけ溜め息を吐くとスマホをズボンポケットに入れて歩き出す。道中は一言も話してくれなかった。それはそうだ。疑う余地も無い事実として、私は待ち合わせの時間に1時間も遅れてしまっているのだ。こちらに非があるとして真摯に受け止める。それに、無言が続いたくらいで気不味いとも思わない程度の時間を彼とは共に過ごしていた。

 

 件のカフェはそこそこ人が入っていた。並ぶ事なく奥の席へ案内され、手前の椅子席に私が座った。彼は早々にメニュー表から1番高いフルーツタルトとコーヒーのセットを見つけ、それを眺めていた。

 

「それにするのか?」

「やっぱ高いよなぁ…」

「気にするタマかよ」

 

 彼は「よし、」と続けると店員にケーキセットを2つ頼んだ。それから腕を組み、もう一度店員を呼ぶと禁煙かどうかを聞く。全席禁煙だと告げられた彼は、再び腕を組むとソファーに深く座り直した。右の人差し指をトントンと一定間隔で動かす様は、傍から見ても苛立ちを隠せていなかった。

 

「遅ぇな」

 

 私は曖昧に笑ってから暫くの間俯いていた。私が顔を上げても、カフェの入口を睨む彼と私の目は合わない。こんな事なら最後に言っておけば良かった。少しして、店員が水をひとつテーブルの上へ置く。

 

「やっぱり、同じではないよ」

 

 ポタポタと私の拳に落ちた涙が波紋となり、それは私の身体を徐々に揺らめかせ、やがて全体へと広がっていった。