漫ろ歩き

小説のようなものを書きます

カラスのような男

 

 

 昔から風呂が嫌いだったその友人は、決まって全身黒ずくめで待ち合わせにやって来た。春の麗らかな陽気に誘われ「博物館に行こう」と彼に連絡した日も、帽子からTシャツからズボンから全てを黒一色でコーディネートしていた。

「お日様暑くないか?」

「別に、暑くないけど。」

不思議そうに首を傾げた彼は代謝の悪いせいで汗を掻きにくいのだと結論付け、道をゆっくり進む。博物館の最寄りで停るバスはあと1時間も待たなければいけなかったからだ。歩いてしまった方が早いと、道中でこれから見る展示の話や、自分の近況、職場の面白い先輩の話を思い付く限り次々と話していく。するとあっという間に目的の建物が目の前にあった。

 モダンアートをコンセプトに最近建てられたその博物館は、数本の丸みを帯びたアーチで私達を出迎えてくれる。私が「伏見稲荷大社みたいだ。」と零すと、彼は

「鳥居のアレを言ってるなら、千本鳥居って言うんだよ。あそこは1万はあるそうだから、コレじゃあ遠く及ばないね。」

と続けた。彼は話し出すと長い。彼にもその自覚があり、私達は決まって私が喋って彼が相槌を打つという風に会話を進めていた。

 バツが悪そうな顔をした彼の視線を土産物コーナーを指差して避ける。私はその時展示されている物のコラボグッズをよく手に取ったが、彼はその博物館の目玉で常時置いてある物のキーホルダーをよく見ていた。

「最初に土産コーナーがあるの、面白いな。」

「一周して戻ってくる構造なんじゃないかな。土地もそう広くないし、ほら。あそこからこっちに向かってくる人はみんなパンフレットを持ってるよ。」

彼の指差した方へ振り返れば、なるほど確かに通路の奥に順路を示しているであろう矢印がこちらを指していた。私が「探偵みたいだな。」と笑うと彼は「みたい、じゃなくて本当にそうなんだけど。」と眉を下げた。

 今日日探偵なぞ流行らないだろうという彼の両親の思惑に反して、彼の懐はそこそこ潤っているようだった。依頼主に高い店で飯代を奢ってもらっていると聞いた時は素直に羨ましいと思ったものだ。私自身、上司から奢られる事はあっても、それは未来の私が後輩に奢るためのツケのようなものだと思うとどうも義務的に感じてしまうのだった。

 それから「土産ばかり気にしていても仕方が無い。」と彼が言い出し、私もそれに頷く。受付で見学カードとパンフレットを貰い受け、受付嬢の指した方へ歩き出した。オフホワイトのリノリウムの道を進み、展示についてあれこれと言い合った。その途中でいつ話し出したっていい、くだらない話もした。むしろ比率としてはくだらない話の方が多かった。すぐにまた土産物コーナーのあったフロアへ着く。戻ってもう一巡しようかとも思ったが、彼は展示物よりも外のアーチが気にかかるようだった。平日の昼間なおかげで人は疎らだ。彼と私が道の真ん中で立ち止まっていても誰にも咎められない。暫く外を眺めていた彼は、私に断りを入れるとトイレへ向かっていった。私はこれと言って他に興味を引くものも無く、近くにあったベンチへ座る。何となしに外を眺めれば、視界の端でアーチが日に当たって微かに光っているのが見えた。

 

「その先輩の事、好きなんだね。」

展示を見ていた私に彼はそう言った。私はそうだ、ともそうじゃない、とも言う前に「しまった。」と思っていた。人前であの先輩の話をすると、どうもこう結論付けられる事が大半であったからだ。確かにその先輩に対して私は好意的だった。特段否定する事も無いので「あぁ、まあそんな感じだ。」と返す。すると彼は顎に手を当て、如何にも考えていますといったポーズを取った。

「珍しいね。君のお眼鏡にかなう女性か。僕も一度会ってみたいな。どうだろう、今度3人で食事でも。」

「俺はいいけど、」

と前置きし、彼の勘違いを正す。

「先輩は男だぞ。」

彼は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔で私を見る。続けて先輩の年齢と風貌も伝え、それでも席を共にしたいかと聞いたが、彼は変わらず「会ってみたいな。」と少し緊張の解けた口角を上げていた。私は幾度目かの忠告を彼に告げる。

「でも、黒尽くめは止めてくれよ。」

「それは聞けない願いだな。目上の人に会うんだから。」